日本人なら誰もが子供の時から、当たり前のように知り慣れ親しんできた忍者。
”分身の術”や”隠れ蓑の術”などの忍法ごっこをして遊んだり、手裏剣を投げるふりをしたり。
自然と忍者の存在は身近なものになっていました。
忍者は今や外国でも”NINJYA”として幅広く愛され、世界各国にファンを生みだしています。
しかしこの忍者って実際に実在はしたのでしょうか?
その忍者たちが、実際に忍法や忍術を使っていたの?
気になったので、調べてみることにしました!
忍者の起源
忍者はいったいいつ、どこから生まれてきたのでしょうか。
忍者は大きく伊賀忍者と甲賀忍者に分かれて起源があるようです。
それぞれの歴史を簡単にまとめてみました。
伊賀忍者の歴史
伊賀の地には奈良時代以降、寺院や貴族の領地である荘園というものが多く作られました。
そのことをよく思わなかったのは、その地に昔から住んでいた「悪党」と呼ばれる人たち。
荘園の領主に対して、奇襲や撹乱などの戦法を駆使しました。
悪党はこの戦法を繰り広げる中で、修験道(山籠もり修行)や山伏の戦法、情報収集の技術を得ていったようです。
室町時代に入って荘園が衰退。
悪党の活動もなくなっていくと、今度はその血を引いた「地侍」が現れました。
「伊賀衆」と呼ばれた地侍達は、各地の戦国大名につき、傭兵として夜襲や密かな放火を行い戦いました。
この頃から、伊賀衆は「忍び」 と呼ばれるようになりました。
江戸時代に入ると、忍びと呼ばれた人々の子孫が「伊賀者」として、参勤交代 のときの藩主の護衛役や国内の情報収集にあたりました。
以上、参考:iganinja.jp
山伏の教え→荘園に対する「悪党」→「地侍」→「伊賀衆」→「忍び」→「伊賀者」→「伊賀忍者」
という歴史を経て、伊賀の忍者は生まれたのですね。
忍者の「忍」は、「伊賀衆」時代の忍びを主とする戦法にルーツがあったようです。
起源はなんと、山ごもりの修行道。
城の内部を駆け巡るような忍者のイメージとはかけ離れていて、とても意外でした。
甲賀忍者の歴史
続いて甲賀忍者の歴史です。
時は平安時代、甲賀の地には重要な関門が設けられ、有力な地元の武士たちの根拠地となりました。
ここから次第に「甲賀武士」と呼ばれる集団が作られるように。
戦国時代、幕府の命令に背いて追われていた武将・佐々木六角氏は、甲賀山中で甲賀武士を率いてのゲリラ戦に突入しました。
「亀六ノ法」という、山中での戦法を編み出しました。
また、夜の闇に紛れて敵陣に放火したり、なんと3年間も戦いを続けました。
この戦いにより、甲賀武士の名が「甲賀忍者」として全国へと広く知れ渡るようになったようです。
以上、参考:https://www.kouka-ninjya.com/
甲賀の忍者と呼ばれる人々も、元は武士から派生したものであったのですね。
伊賀忍者と同じく、独特の戦術が忍者たる由縁のようですね。
有名な忍者
実在した?有名な伊賀忍者
伊賀崎道順
難攻不落の城も「伊賀崎入れば落ちにけるかな」と詠われた。
百地三太夫
伊賀忍者を統括した1人。
服部半蔵
服部半蔵家の初代で生没年は不詳。
実在した?有名な甲賀忍者
望月与右衛門
島原の乱で甲賀衆代表の忍びとして参陣。
青山虎之助
徳川家康に仕えた。生没年は不詳。
これらの人々は皆、前項でお伝えした「伊賀者」「甲賀衆」といった、独特の戦法に優れたすぐれた武士たちのうちの一人のようです。
忍者と言っても、やはり詳しくは各国の大名についた武士であったことに違いはないようですね。
忍法・忍術は本当に存在したの?
漫画やアニメで描かれるような、魔法のような忍法・忍術は存在したのでしょうか?
実際の所、忍者もただの人間なので、そのような派手な術は使っていないようです。
ただ諜報・放火・夜襲などを行っていく忍び活動の、心得のようなものはあったようです。
また、忍者と呼ばれた人々のルーツには、呪術や奇術を得意とした一族がいたようです。
その呪術は主に精神統一を促し、「自分は大丈夫だ」と強烈な自己暗示をかけていたと言われています。
現代でいうと、ラグビー五郎丸の、精神統一のためのルーティーンポーズのような、そのようなものが忍者にはあったようですね。
そして、伊賀忍者・甲賀忍者ともに、得意としたのは火術のようです。
火薬の材料が周囲から入手しやすい土地柄、火薬に詳しい人物がルーツにあり、発達していったようです。火薬の調合方法が秘伝中の秘伝でした。
具体的な火術としては、鉄砲を始め、火薬玉、火矢、狼煙、ほうり火矢、埋め火などがあったそうです。
火薬にあまり詳しくない当時の人々にとっては、忍者たちのこのような火術は、かなり恐怖の対象だったのでは?と思います。
まとめ
今回は、今なお世界中で愛される忍者についてお伝えしました。
忍者の起源をたどると、漫画などで描かれるような特殊な人間離れした存在とは、全く違うものでした。
戦国の世に各国大名のもとで暗躍した、地元の武士たちであったのですね。
こういった活躍の数々から、今日に至るような伝説的な架空の人物としての代表的な忍者も様々生まれたようです。
それほど伊賀や甲賀の土着の武士たちの活躍が、見事であったことは間違いないようですね。